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更新日:2016年4月16日

気候風土

 

地勢

千曲川

 長野県の東部に位置し、北は上信越高原国立公園の菅平高原、南は八ケ岳中信高原国定公園に指定されている美ケ原高原などの2,000メートル級の山々に囲まれています。

 佐久盆地から流れ込む千曲川(新潟県からは「信濃川」)が市の中央部を東西に通過、これに周囲の山々を源流とする依田川、神川、浦野川等が合流し、長野盆地へと流れていきます。標高400メートルから800メートルの河川沿いに広がる平坦地や丘陵地帯に市街地及び集落が形成されています。

 上田市は緑溢れる森林・里山と清らかな水の流れる川に育まれた自然豊かな地域です。


気候

晴れのイメージ

 上田市の盆地部分の年平均気温は、摂氏11.8度です。年間の最高気温は摂氏35度前後、最低気温は摂氏マイナス10度前後であり、昼夜、冬夏の寒暑の差が大きい典型的な内陸性の気候です。晴天率が高く、年間の平均降水量が約900ミリメートルと全国でも有数の少雨乾燥地帯です。

 積雪も、山間地以外の地域では、10センチメートルを超えることは稀です。

 一方、菅平高原は、夏の平均気温が摂氏19.6度と東京の5月の気温であり、スイスを思わせる風景と相まって「日本のダボス」とも呼ばれる、大変さわやかな別天地です。

 少雨地帯ではありますが、千曲川、依田川、神川、浦野川等の豊富な水量と菅平ダム、内村ダム、また先人達が築いた農業用水やため池のお蔭で、深刻な水不足に悩まされることはありません。

 

真田地域の特色

真田地域イメージ

 真田地域は、上田市の北東部にあり、スポーツ合宿やスキーで有名な菅平高原と戦国時代に活躍した真田氏の史跡が点在する地域です。

 日本百名山の一つである四阿(あずまや)山(2,354メートル)と根子岳(2,207メートル)のふもと、標高1,200メートルから1,600メートルに広がる菅平高原は、真夏の平均気温が19.6度と大変さわやかな気候です。その快適な気候を求めて全国からラグビーやサッカーなどの強豪チームが合宿に訪れています。

 夏のラグビー合宿の歴史は、昭和6年の法政大学に始まり、翌年からは早稲田大学が訪れるようになり、今では大学ラグビーのメッカとなっています。平成11年には、天然芝のグラウンド5面と公認陸上競技場を備えたサニアパーク菅平がオープンしています。

 近年は、陸上の高地トレーニングの合宿地としても知られ、オリンピックの日本代表選手など、多くのトップアスリートが訪れます。

 また、冬には白銀のパウダースノーにひかれた数多くのスキーヤーで賑わいます。昭和5年、近代スキーの父、ハンネス・シュナイダー氏が菅平高原を訪れ、日本で初めてのシュプールを描き、その環境や美しさを絶賛したことから、全国有数のスキー場として現在に至っています。

 もう一つの特色は、真田氏の発祥の地であることです。上田城を築いた真田昌幸の父幸隆は、真田地域から興りました。昌幸らと共に武田信玄に仕えましたが、その中で養われた戦略眼と、武田家の統治技法は昌幸そして信之、幸村らに受け継がれました。

 地域内には、上田城築城以前の真田氏の居館跡があり、県の史跡に指定されています。この居館跡は現在、お屋敷とよばれ、ツツジの名所としても親しまれ、隣には真田氏歴史館が整備されています。また、真田氏ゆかりの寺としては、真田幸隆夫妻と昌幸の墓がある長谷寺(ちょうこくじ)、昌幸の兄、真田信綱と昌輝の墓がある信綱寺があります。このほか、真田氏の山城が幾つか残っており、戦国の世の面影を今に伝えています。

 高原に代表される豊かな自然と歴史ロマンが魅力の真田地域は、上信越自動車道上田菅平インターチェンジからも近く、バラエティに富んだ観光地「上田」の魅力の一翼を担う地域です。

 

上田地域の特色

上田地域イメージ

 上田地域の歴史は古く、大和時代には国造(くにのみやつこ=知事)がこの地に派遣され、科野国(しなののくに=信濃国の古名)の政治・文化の中心地になっていたと思われます。奈良時代には、国分寺、国分尼寺が建立されましたが、信濃国で最初の国府が置かれた地ではないかと考えられています。鎌倉時代に入ると、幕府の信濃守護職、北条氏が塩田に居を構え、三代60年に渡り鎌倉の仏教文化を花咲かせました。この塩田平は『信州の鎌倉』といわれ、安楽寺の日本で唯一の八角三重塔(国宝)をはじめ、多くの歴史的建造物、史跡が残されています。(上田市文化財マップ)

 戦国時代、真田氏は武勇に優れた智将として全国にその名を轟かせ、日本の歴史の要所に影響を与えました。1583年に上田城を築いた真田昌幸は、徳川軍の侵攻を二度にわたって退けました。さらに、その後の大坂冬の陣・夏の陣での真田幸村らの活躍は、今も城下町上田の誇りとして、市民の心に深く刻まれています。関ケ原の戦いに際しては親子兄弟が東西に分かれて戦いましたが、敗れたものの、昌幸と幸村はその名を天下に轟かせ、一方で幸村の兄信之は真田家を存続させ、松代移封後も真田氏は明治維新まで続きました。

 真田氏は、約40年間上田の地を治めましたが、その後は、仙石氏(約84年間)、松平氏(約160年間)と城主が代わっています。

 この城下町の形成により上田地域は政治・文化の中心、物資の集散地として栄えました。その中で、養蚕業の発達とともに上田紬は日本の三大紬とうたわれるほどの発展をみせ、さらに明治から大正時代にかけては全国有数の蚕種(さんしゅ)の生産地となり、全国の蚕糸業を支える「蚕都」として隆盛を極めました。

 経済恐慌、激動の昭和を経て、当地域は、長野県東部の中核都市、そして、商業、工業、農業、観光のバランスのとれた都市として着実な発展を遂げてきました。現在は、総合的な都市機能を高め、活力あふれる賑わいと交流の拠点づくりを進めるため、上田駅周辺の再開発を行い、市街地の活性化と商業の振興を一体的に推進しています。さらに、産学官連携支援施設などの特色ある資源を活用し、専門的な分野に対応できる人材の育成や共同研究、受委託研究等の取り組みが盛んです。

 また一方では、上田地域は、豊かな自然環境に加え全国的にも稀な少雨地帯であること、歴史的な家並み等日本の原風景が数多く残っていることから、これまでに85本余りの名作映画の舞台となっています。現在では、年間100本近い映画やテレビドラマ等の撮影が行われています。

 平成13年には信州上田フィルムコミッションを設立し、更なる撮影誘致のため、ロケ地の情報提供・交渉をはじめ撮影をスムースに進行させる各種の支援を積極的に行っています。「屋根のないスタジオ・ロケのまち上田」をPRする中で、映画の舞台になる地域として様々な情報発信をしながら、市民が誇りに思う元気なまちづくりを目指しています。

 

丸子地域の特色

丸子地域イメージ

 丸子地域は、明治中期から大正期にかけて製糸業が盛んで、岡谷地域に次いで日本第2位の出荷額を誇りました。「生糸の町・丸子」として海外にまでその名を広めましたが、第二次世界大戦後は、化学繊維などの普及により衰退し、大半は精密機械、紡績、食品などの近代産業に転換しました。現在当地域に集積している企業の多くはこの製糸業をルーツとしています。

 また、当地域は昔から上田地方と諏訪・松本地方を結ぶ交通の要衝でしたが、昭和51年、三才山(みさやま)トンネルの開通により松本平との時間的距離は飛躍的に短縮されました。この長野県の東西を結ぶ大動脈の開通は、丸子地域における産業集積にも大きく寄与しています。

 当地域は、上田市の中央を流れる千曲川の左岸地域にあり、豊かな自然と文化が調和した癒しの里です。対岸はるかに望む菅平高原や烏帽子岳の雄大なパノラマは、四季折々の装いごとに絶景です。

 その中でも、特に眺望のよい丘の上にある信州国際音楽村は、菅平高原、浅間山をはじめ蓼科山まで見渡せる絶好のロケーションにあります。毎年、ラベンダーが咲き誇る6月には「信州ルネッサンス」として、地元合唱団や伝統芸能などの披露のほか、屋外音楽施設「パノラマステージひびき」に有名アーティストを招き、夜空の星を見ながらのコンサートが開かれます。

 音楽村の目玉施設である「ホールこだま」は、地元産のカラマツ大断面集成材を使用しており、純木造の音楽専用ホールとしては日本一の規模です。音楽・文化の啓発、振興を目的にさまざまな催しが開かれるこのホールは、年間2万人の利用者を数えます。

 山懐に抱かれた鹿教湯温泉は、伝説に包まれた湯の里です。その昔、文殊菩薩が矢傷を負った鹿に化身し、この鹿を追って来た猟師にそのありかを教えた温泉として、「鹿教湯(かけゆ)」と名づけられたといわれています。脳卒中を癒す名湯とされ、江戸時代から湯治場として栄えました。

 現在は、温泉と医療を直結させた温泉療養所として、脳卒中や骨関節疾患のリハビリテーションでは全国屈指の設備、環境を有しています。環境省の国民保健温泉地にも選定され、周囲の自然がおりなす風情、「文殊堂」や「五台橋」の幽玄な景観と相まって、古くて新しいヘルシータウンとして注目を集めています。

 丸子地域は、工業集積地として、上田市の製造業を支える活力溢れた地域ですが、自然とのふれあいを大事にし、人や文化の交流を積極的に行ってきた地域でもあります。地域の個性を競い合う時代となった今日、当地域の個性である、自然と融合する芸術の里、健康と癒しの里を大切にして、積極的に情報発信していきます。

 

武石地域の特色

武石地域のイメージ

 武石地域は、上田市の南部の山間地域です。地域の南側に広がる標高2,034メートルの国定公園美ケ原高原は、山岳縦貫道路ビーナスラインや美ケ原高原美術館で全国的に知られています。

 旧武石村の総面積87.67平方キロメートルのうち約9割が山林で占められており、美ケ原高原からはいく筋もの尾根が派生して、谷を形作り、武石川の清流や、澄んだ空気を生み出しています。

 明治22年に村が誕生してから100周年となる平成元年、古い灯火器具等を展示する「ともしび博物館」を開館しました。以来、全村を「ともしびの里」として医療福祉の充実、若者定住・子育て支援対策、スポーツ振興等を積極的に行なってきましたが、平成18年3月、村政118年の歴史に幕を閉じ、上田市として新しい歩みをはじめました。

 武石地域には誇るものがいくつもあります。美しく豊かな自然はもちろん、御柱大祭に奉納される「おねり行列」などの歴史ある多くの文化、また住民自らが積極的に取り組んでいるさまざまな地域づくり活動です。3月には、春を演出する「福寿草の里づくり活動」、5月には、地域全体を花桃のピンクに染める「花咲か爺さん活動(一里花桃の里)」が地域の魅力を発信しています。年間を通じ、農業・農村体験を提供する「ほっとステイ事業」なども個性ある地域づくり活動です。友好提携都市である東京都練馬区の皆さんとの交流も盛んに行われています。

 地域の人々が育んできた、そして、人々を暖かく包んでくれるこれらの宝物を引継ぎ、絶えることなく次世代へ伝え、上田市の「最高の田舎」として住み良い地域づくりを目指していきます。

 

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