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更新日:2017年4月19日

エピソード4 「櫓の歴史」

払い下げられた七つの櫓はどこへ

大正5年のはがきに写る西櫓
大正5年のはがきに写る西櫓 明治の廃藩後、国に接収されていた上田城は、明治8年に本丸・二の丸の土地・建物・樹木まで一切の払い下げが許可となります。払い下げられた建物には、櫓や土蔵などがありますが、そのほとんどの行方は分かっていません。現在ある三つの櫓のうち、西櫓は唯一解体されずに残ったものです(詳しくは下記「博物館になった西櫓」)。昭和19年に写された復元中の南北櫓
昭和19年に写された復元中の南北櫓北櫓と南櫓は城外で貸座敷として使われ、戦中から戦後にかけて、本丸の石垣の上に移築復元されました(詳しくは下記「市民の寄付で復元された南北櫓」)。全部で七つあった櫓のうち他の四つの櫓はどこにいったのでしょうか。これまでの調査の中で、櫓の材木や瓦を使ったという建物の情報をいくつかいただきました。しかし、確証を得るまでには至っていません。

博物館になった西櫓

博物館に改装中の西櫓
博物館に改装中の西櫓 江戸時代に上田城の本丸に七つあったとされる櫓のうち、唯一解体されずに残った西櫓。上田城を代表する建物として、古い絵葉書(「写真葉書」とした方が正しいかもしれません)の題材として、よく取り上げられています。
 この西櫓は、払い下げにより買い取った丸山平八郎直義(ちょくぎ/なおよし)から明治22年に最後の藩主・松平忠礼(ただなり)に無償で返還されました。城の櫓のほとんどが無くなっていることを嘆く忠礼の心中を知った人たちが、丸山氏に協力を求めたところ、博物館 館内
博物館 館内快諾を得て返還されました。西櫓には、松平家の鎧や冑(かぶと)、古文書などが収められました。
 昭和4年、市は西櫓を譲り受け、松平家の宝物などを展示する徴古館(博物館)にしました。甲冑や刀などが展示され、上田築城350年祭とも相まって、にぎわいを見せたそうです。

※櫓とは本来「矢倉」であり、武器を入れておく施設で、戦の際には弓や鉄砲を撃つことができる小窓も備えています。戦のない時代になると、櫓は武器のほかに、文書や着物、茶碗などをしまっておく倉として使われました。「西櫓・北櫓・南櫓」という名前は戦後につけられたもので、江戸時代には、西櫓は「西川手櫓」、南櫓は「東川手櫓」などと呼ばれていたことが分かりました。ただし、七つの櫓それぞれに名前があったのではなく、便宜的なものだろうと言われています。参考までに、松本城などでは「月見櫓」など、風流な名前を持つものもあります。

市民の寄付で復元された南北櫓

貸座敷となった櫓
貸座敷となった櫓 明治の廃藩後、国に接収されていた上田城は、明治8年に本丸・二の丸の土地・建物・樹木まで一切の払い下げが許可となります。
 払い下げとなった櫓のうち2基は、明治11年に街の外に移築され、金秋楼(きんしゅうろう)と万豊楼(まんぽうろう)という貸座敷として使われます。封建支配体制の権威のシンボルが、貸座敷になるという極端な時代の転換を象徴するエピソードです。大正末年から昭和初年ごろのその様子は、両楼合わせて部屋数は14くらいで、娼妓(しょうぎ)が14・15人、芸者や仲居を含めると総勢22・23人が働いていたといわれます。
設計図
設計図 貸座敷は昭和4・5年ころに廃業され、その後、持ち主から上田市への寄贈の申し出もありましたが、移築に多額の費用を要することから、そのままとなります。しかし、昭和16年にこの二つの櫓が東京の料亭に転売されるという話が進み、このことが新聞に掲載されると、市民の間から「上田城櫓が市外へ移されるのは忍び難い、買い戻して元の城跡に復元しよう」という声が上がります。
 そして、翌17年に浅井敬吾市長を会長、上田商工会議所副会頭であった飯島新三郎氏を副会長兼建築委員長とし、市議・区長・有識者などからなる「上田城址保存会」が結成されます。保存会は同年2月10日に、銀行からの借入金で櫓を1,800円で買い取ります。この買収費や移築費を含めてすべての経費を寄付で賄う計画が立てられ、寄付金が集められました。文部省の指導を得ながら設計などの準備を進め、移転のための解体は昭和18年に着手し、翌19年3月に上棟式を迎えます。ところが、この後、太平洋戦争の戦局が厳しくなったことから工事は中断されます。
再建工事中の南北櫓
再建工事中の南北櫓 上田城櫓再建工事は約4年間中断されますが、昭和23年6月に再発足した「上田城址保存会」により、再開されます。そして、昭和24年の復元竣工式の写真
昭和24年の復元竣工式の写真昭和24年6月11日に落成式が行われ、現在の南北櫓の復元が完成します。最終的に集まった寄付金は、73万9,300円。こうして、太平洋戦争から終戦後の混乱期に市民の熱意により、約70年の年月を経て2棟の櫓は再び城内に戻りました。
 櫓は、丸太だった大黒柱が貸座敷として移築したときに、四角い柱に加工されたりしていましたが、復元の際に元々の材料を出来るだけ利用し、忠実に復元しようと苦労したようです。
 南櫓・北櫓は、徴古館(ちょうこかん)(博物館)となっていた西櫓とともに、昭和28年から「上田市立博物館」として、昭和40年に現在の博物館が開館するまで使用されました。
 櫓門とともに上田城跡のシンボルとなっている二つの櫓。その数奇な歴史は、全国でも二つとない逸話となっています。

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