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エピソード5 「本丸にできた上田公園」

更新日:2019年12月12日更新
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3人の「丸山平八郎」の功績

はがきに写る本丸明治40年~大正7年頃のはがきに写る本丸。

 明治8年に、上田城の土地や建物は旧藩士に払い下げられ、引き渡されました。しかし、旧藩士の一部の人は使いみちに困り、別の人に転売したのではないかと考えられています。江戸時代から材木・生糸商人として力のあった丸山平八郎直養(ちょくよう/なおよし)は、本丸の土地と櫓を一括して買い上げました。

明治後期のはがきに写る松平神社明治後期のはがきに写る松平神社

 そして、息子の平八郎直義(ちょくぎ/なおよし)は明治12年に本丸の南側土地を松平(しょうへい)神社(真田神社の前身)建設のためにと寄付し、次いで北側上の段も神社付属の公園とする条件で寄付しました。これがきっかけとなり、本丸が上田公園と呼ばれ、梅や桜の名所として知られるようになります。また、唯一解体を免れた西櫓を旧藩主・松平忠礼に返上するなど、現在の公園の礎(いしずえ)を作った人といえます。
 直義の息子の平八郎直好(ちょくこう/なおよし)は上田市収入役を12年間務め、二の丸の公園化に尽力しました。なお、「平八郎」は、この直好までが丸山家で代々襲名した名前です。
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