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更新日:2017年4月19日

エピソード5 「本丸にできた上田公園」

3人の「丸山平八郎」の功績

はがきに写る本丸
明治40年~大正7年頃のはがきに写る本丸。 明治8年に、上田城の土地や建物は旧藩士に払い下げられ、引き渡されました。しかし、旧藩士の一部の人は使いみちに困り、別の人に転売したのではないかと考えられています。江戸時代から材木・生糸商人として力のあった丸山平八郎直養(ちょくよう/なおよし)は、本丸の土地と櫓を一括して買い上げました。
 そして、息子の平八郎直義(ちょくぎ/なおよし)は明治12年に本丸の南側土地を松平明治後期のはがきに写る松平神社
明治後期のはがきに写る松平神社。(しょうへい)神社(真田神社の前身)建設のためにと寄付し、次いで北側上の段も神社付属の公園とする条件で寄付しました。これがきっかけとなり、本丸が上田公園と呼ばれ、梅や桜の名所として知られるようになります。また、唯一解体を免れた西櫓を旧藩主・松平忠礼に返上するなど、現在の公園の礎(いしずえ)を作った人といえます。
 直義の息子の平八郎直好(ちょくこう/なおよし)は上田市収入役を12年間務め、二の丸の公園化に尽力しました。なお、「平八郎」は、この直好までが丸山家で代々襲名した名前です。

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