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エピソード8 「市民の寄付でできた公会堂」

更新日:2019年12月12日更新
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東北信で一番と評判の建物

上田市公会堂上田市公会堂 

 

大正12年11月、二の丸に上田監獄署があった頃、現在の市民会館の場所に上田市公会堂ができました。市民からの建設要望ということもあり、市民から集まった寄付金・11万2999円20銭(現在のお金に換算すると約1億円)で工事費のほぼ全額が賄われました。木造2階建ての2階には280畳の大広間があるなど、当時、建物の規模、美しさでは東北信随一と評判だったそうです。
 二の丸_電車
二の丸の堀を走る電車

 

昭和3年に監獄が城外に移転すると、公園の整備が飛躍的に進みます。まず、監獄署跡地に児童遊園地とテニスコートができました。陸上競技場や市営球場もこの頃にできたものです。そして、二の丸の堀(現在のケヤキ並木)に電車が通り、二の丸橋の下に「公会堂下」という駅ができました。当時すでに、公園の中にたくさんの桜があったことも古写真から分かりました。上田城跡が、現在のように多くの市民に親しまれる公園として、大きな一歩を踏み出したのです。公会堂では様々な催しが行われ、公園の中心的な施設となりました。

2階の大広間の様子
2階の大広間の様子
 

 太平洋戦争が終わり、進駐軍(連合国軍)の上田キャンプが作られると、公会堂は軍関係者の娯楽の場「アサマダンスホール」として使われることになりました。この時「市民がつくった公会堂を返せ!」という声もあったそうです。キャンプが廃止されると施設は戻されましたが、長い間市民から親しまれた公会堂は、昭和35年にその使命を終え、3年後に現在の市民会館にバトンタッチしました。

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