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エピソード12 「市民の憩いの場となった公園」

更新日:2019年12月12日更新
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大勢の人に愛される上田城跡

 上田城跡公園は、昭和40年代までは、冬になると堀の水がかちかちに凍り、子どもも大人もスケートを楽しむことができました。また、魚釣り大会が開催されるなど、堀は子どもたちの格好の遊び場になっていました。この頃堀には橋が架かっていて、招魂社(しょうこんしゃ)の前から本丸(通称・だんご山)へと渡っていくことができました。
本丸堀でのスケート(昭和35年)

 

 

 

本丸堀でのスケート(昭和35年)

本丸堀での釣り大会

 

 

 

本丸堀での釣り大会(昭和40年)

博物館の北側にあるテニスコートは、昭和2年に造られた歴史あるものです。昭和53年に長野県で開催された「やまびこ国体」の競技会場としても使用されました。
 招魂社の東隣の、現在、広場となっている場所には、昭和63年まで武徳殿(ぶとくでん)(上田市総合展示場)がありました。かつては屋内体育館などとしても利用されたこの建物は、いろいろな催しものが開かれたため、多くの皆さんが覚えていることと思います。
 また、公園内にはたくさんの碑や赤松小三郎、山極勝三郎、三吉米熊(みよしよねくま)をはじめ、上田市に縁の深い先人たちの像があります。こうした碑や像を巡るのも楽しいかもしれません。
やまびこ国体開催(昭和53年)

 

 

やまびこ国体開催(昭和53年)

 博物館前の園地の一角にある、SBC信越放送のラジオ塔。かつては全国の公園などにこのようなラジオ塔が建てられ、時報や緊急放送を伝える役目を果たしていました。現在では放送が流れることはありませんが、古くなりその役割を終えた今も、上田城跡にその姿を留め歴史を物語っています。
 このように、廃城となった上田城は、市民の憩いの場である公園として生まれ変わり、いろいろな世代の皆さんに愛され、親しまれて、現在に至っています。

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