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景観ウォッチング~真田編~
景観ウォッチング~真田編~を開催しました
真田地域は、真田氏発祥の郷として多くの歴史的、文化的資源を有しています。また、神川や洗馬川、菅平ダムなどの水辺空間や、菅平高原や烏帽子岳、四阿山などの緑豊かな山々などの自然景観にも恵まれ、四季を通じて様々な景観を楽しむことができます。
今回の景観ウォッチングでは、真田地域自治センター周辺の横尾、戸沢地区などを散策しながら、真田地域の景観の良さを再発見し、真田の景観の魅力を考えました。
日時
平成24年3月24日(土曜日) 午前9時30分から午後12時30分まで
コース
真田地域自治センター周辺の横尾地区、戸沢地区など約6.5キロメートル
コース図[PDFファイル/893KB]
講師
牧谷 孝則さん
(市景観審議会委員、市景観アドバイザー、NPO法人ルーバンデザイン研究所理事長)
横尾を語る会(地域の歴史や民俗、文化などを研究する横尾自治会の住民有志の皆さん)
道祖神などの石碑群
真田消防署裏の広場には、道祖神三体のほか、馬頭観音などの石碑・石像が二十七体も一か所に祀られています。
(横尾を語る会編集、横尾区作成のリーフレットより)
下道小路(松代道)
セギ下小路
善光寺道
タンボ小路
横尾の小路
横尾はかつて、江戸時代には善光寺と江戸を結ぶ松代道(江戸道・善光寺道)と上州街道が交差する交通の要衝でした。
今でも横尾区内には旧街道やいくすじもの路地・小路が残っています。
尾引城跡
善光寺道の道しるべ
宿小路の市神
宿小路の馬乗り石
尾引城(横尾城)
室町時代にこの地を支配していた豪族の横尾氏が築城しました。天保17年(1548年)の上田原合戦で横尾信光が討死し、その後尾引城は真田氏の支城となります。横尾はかつて城下町であり、横尾氏が市を開いた宿小路には、今も市神が祀られており、また、殿様が馬に乗る際に利用したと伝わる「馬乗り石」が残るなど、城下町の面影をあちこちに見てとることができます。
信綱寺総門(黒門)
信綱寺の参道にある総門です。薬医門〔やくいもん〕といわれる形式で、全体に黒く見えることから黒門と呼ばれています。
黒門横にある馬頭観音像
線彫りされた馬頭像が繊細で美しい。
信綱寺
室町時代に横尾氏の菩提寺として創建され、上田原の合戦後、真田信綱が現在地に移しました。その後、信綱は武田家家臣として参戦した長篠の戦いで戦死したため、真田家を継いだ昌幸が兄の碑所として改築し、名称を現在の信綱寺と改めました。信綱夫妻と弟の昌輝の墓などがあります。
戸沢の家なみ
江戸時代に造られた土蔵の石積み
蚕室造りの民家
蚕室造りの民家
ねじ行事が行われる戸沢の道祖神などの石碑群
石舟地区の民家にある土蔵。入口が3箇所あり、それぞれ形態、意匠が異なるところがおもしろい。養蚕、味噌蔵、米の保存などの用途ごとに使われていたそうです。
戸沢、石舟地区
この地域では、江戸後期から昭和40年代頃まで、養蚕業が盛んに行われました。今でも、煙出し(気抜き)の小屋根がのった蚕室造りの立派な民家が多く残っています。
また、戸沢では、毎年2月8日に道祖神祭り(ねじ行事)が行われます。ねじ行事とは、地域の住民が子どもたちの無病息災を願って、米粉で生地を作った「ねじ」をわら馬に乗せて道祖神にお参りする行事で、国の選択無形民俗文化財に選択されています。