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東山道の歴史を学ぶ

更新日:2020年4月1日更新
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上田西部地域協議会では、地域に残る東山道の史跡を活用した地域づくりを進めるため、東信地域にある東山道関連の史跡を周り、その歴史を学ぶ研修会を開催しました。
講師には、川上元氏(長野県文化財保護協会常務理事)をお迎えしました。
亘理の駅跡画像
最初に訪れた西部地域の諏訪部自治会にある亘理駅(わたりのうまや)跡です。その昔、中国の制度にならって一定の区間に駅(うまや)が置かれ、公文書や官人の伝送の任にあたっていました。
清水駅跡画像
亘理の駅から、東に15キロほど移動したところにある小諸市の清水駅跡(推定)です。1200年前のことが、どうしてわかったかというと、字名や古墳群、古道の跡が残っていたりしたためとのことです。
長倉駅跡画像
延喜式という平安時代に編集された法典にその名前が載っている長倉神社です。この周辺に長倉神社があったと推定されます。碓氷峠という難所を越えるため、たくさん荷馬が用意されていました。
鳴石画像
蓼科の雨境峠にある鳴石です。上下二つの巨石が重なっており、上部をたたくと音がします。道中の安全を願うため、ヌサと呼ばれる石でできた勾玉などを奉納する習慣があったようです。
浦野駅画像
青木村の浦野駅です。昭和50年頃、大規模な発掘調査がなされましたが遺構は発見されませんでした。近くに大法寺の三重塔や、関連する字が残っていることから、この付近に特定されるようです。
東山道画像
当時の東山道を再現した道です。6メートルの道幅があり、結構広いのでびっくりしました。京都の近くでは、42メートルもの幅があったそうです。中央と地方を結ぶため、政治的に造られた国道でした。

地域の歴史を知るために、東信地域をぐるっと周ってみて感じたことは、1,200年前のことが、いまだに地名で残っており、史跡として特定されていることへの感動です。普段は、隠れていて見えていなかったものに、光があてられて輝いた瞬間です。
このような地域に隠されている歴史的遺産に光をあて、先人から未来への託されたものを見直していくことに、一つの地域の活性化のための道があると思います。地域をよく知ることで、地域づくりを行っていきます。