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上田城の歴史

更新日:2026年2月12日更新 印刷用ページを表示する

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真田氏の築城から、仙石氏の復興、松平氏が守り伝え、現在にその姿を残す上田城。

その400年の歴史をたどる。

 

1583年

 
年代 できごと 城主
1583年(天正11年) 真田昌幸が徳川氏の力を借りて上田城の築城に着手。

真田昌幸の画像

真田昌幸【さなだまさゆき】

1585年(天正13年)

・上杉景勝に臣属。

・前年に徳川家康からの沼田領の明け渡し命令を拒否したことをきっかけに、徳川軍が上田城を攻め込む第一次上田合戦が起こる。7千余の徳川軍を2千足らずの真田軍が退ける。

1586年(天正14年)~

1590年(天正18年)頃

・この頃に豊臣秀吉に臣属。

・上田城も大規模な整備を行ったものと推察される。

1600年(慶長5年)

関ケ原合戦に際し、昌幸・信繁(幸村)父子上田城に籠城し、徳川秀忠が率いる3万8千人の部隊を足止めする。(第二次上田合戦

1601年(慶長6年)

・関ケ原合戦に勝利した徳川方に上田城を明け渡す。昌幸・信繁父子は九度山に配流。

・徳川軍により上田城が破却され、廃城となる。

・城の破却後、真田信之に上田城が引き渡される。

 

真田信之【のぶゆき】

1622年(元和8年) 信之が松代に転封。仙石忠政が小諸から入封。

 

1626

年代 できごと 城主
1626年(寛永3年) 忠政、上田城の復興工事に着手。

仙石忠政の画像

仙石忠政【せんごくただまさ】

1628年(寛永5年) 忠政没する。これにより上田城復興工事は中断となり未完成のまま終了。 仙石政俊【まさとし】
1631年(寛永8年) 千曲川大洪水となり、尼ヶ淵の地形が変わり、水が涸れる。
1641年(寛永18年) 城内各所の石垣の修復が許可される。以降、小規模の石垣修復がたびたび行われた。
1706年(宝永3年) 仙石政明、但馬国出石(いずし)【現在の豊岡市】に転封。 仙石政明【まさあきら】

1706

年代 できごと 城主
1706年(宝永3年) 仙石政明と交代で出石から松平忠周が上田へ入封。 松平忠周【まつだいらただちか】
1733年(享保18年) 前年の洪水で破損した崖面の修復に合わせて、その前面に護岸用の石垣を築造(同21年に完成)。 松平忠愛【ただざね】
1749年(寛延2年) 松平忠順が上田城主になる。 松平忠順【ただより】
1788年(天明8年) 二の丸に新規に土蔵築造。 松平忠済【ただまさ】
1812年(文化9年) 松平忠学が上田城主になる。 松平忠学【たださと】
1843年(天保14年) 二の丸に籾蔵として、土蔵2棟を増築。

松平忠優(忠固)【ただます/ただかた】

1847年(弘化4年) 善光寺大地震で櫓が傾き、二の丸の三十間堀が水涸れ。
1848年(嘉永元年) 前年の善光寺地震で崩れた石垣と傾いた櫓を修復。
1854年(安政元年)

安政の東海地震で本丸の西門脇の石垣が崩壊し、塀、櫓門などが傾く。

1867年(慶応3年) 大政奉還 江戸時代の終焉

松平忠礼の画像

松平忠礼(まつだいらただなり)

1869

年代 できごと
1869年(明治2年) 版籍奉還により、上田藩主松平忠礼は藩知事に。
1871年(明治4年)~1873年(明治6年) 国に接収され東京鎮台第二分営の管理下となる。
1874年(明治7年) 上田城が民間に払い下げとなり廃城。
1877年(明治10年) 本丸にあった櫓2棟が上田遊郭に移築される。
この頃までに、7つあった櫓と2つの櫓門は西櫓を残し解体や払い下げになる。また、城内の石垣などの構造物も一部を残して解体されてしまう。

1879

年代 できごと
1879年(明治12年) 本丸跡へ松平神社(しょうへいじんじゃ)【※現在の真田神社】の建立計画がでる。
1885年(明治18年) 上田監獄署が二の丸に完成。
1896年(明治29年)

このころ上田城本丸跡、公園としての体裁が整う。

明治後期(明治後期松平神社)

1923年(大正12年) 上田招魂社・上田市公会堂が二の丸に設立。
1927年(昭和2年)

・二の丸橋竣工。

・市営運動場、野球場が二の丸の大水濠跡を利用して開設される。

1928年(昭和3年) 二の丸にあった上田刑務所(監獄)が移転。跡地は児童遊園地・庭球場になる。
1929年(昭和4年) 本丸に唯一、残っていた西櫓が徴古館(博物館)として一般公開。
1932年(昭和7年) 上田城築城350年祭挙行される。

1942~

年代 できごと
1942年(昭和17年) 上田城阯保存会結成。前年に東京の料亭に売却された2棟の櫓を買い戻し、城跡への移築再建を目指す。
1943年(昭和18年) 城跡内への移築復元工事が開始されるも、翌年(1944年)に太平洋戦争の戦局悪化のため中断される。
1949年(昭和24年)

前年から、移築復元工事が再開され、南櫓・北櫓の完成

南北櫓の完成

1953年(昭和28年) 西櫓に南櫓・北櫓をあわせて、上田市立博物館として公開。
1959年(昭和34年) 本丸の西櫓・南櫓・北櫓が長野県宝に指定される。
1962年(昭和37年) 山本鼎記念館(現在の上田市立博物館別館)開設。
1963年(昭和38年) 市民会館完成。
1965年(昭和40年) 上田市立博物館新築。
1990年(平成2年)

・「史跡上田城跡整備基本計画」を策定し、以降、城内の発掘調査や史跡の整備を進める。

・二の丸北虎口の石垣(北側)を復元する。

1993年(平成5年) 二の丸北虎口の石垣(南側)を復元する。
1994年(平成6年)

平成3年から行われていた東虎口櫓門の復元工事が完了する。

東虎口櫓門

2006年(平成18年) 真田信繁(幸村)の縁で、大阪城と友好城郭提携を結ぶ。
2016年(平成28年) NHK大河ドラマ「真田丸」放送。旧市民会館を「信州上田真田丸大河ドラマ館」とし、大勢の人で賑わう。