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更新日:2024年2月22日更新
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概要

 上田城は天正11年(1583)に築城が開始され、完成後は真田昌幸が城主となりました。その後徳川軍によって2度攻撃されるものの落城しませんでした。
 慶長5年(1600)の関ヶ原の合戦後に昌幸・信繁父子が九度山(和歌山県)に幽閉されると上田城は建物は壊され、堀なども埋められる「破城」が行われました。昌幸の後にこの地を治めることになった長男の信之は城の復興はせず、三の丸に屋敷を構えて政治を行いました。
 元和8年(1622)に信之が松代(長野市)へ領地替えとなると、小諸城(小諸市)から仙石忠政が入り、寛永3年(1626)から上田城の復興を開始します。しかし、本丸、二の丸、三の丸の堀や土塁、石垣等の整備の他、本丸には2つの櫓門と7つの隅櫓を築きますが、2年ほどで忠政が亡くなったことで復興が中断され、その後再開されることなく松平氏に交代し、明治維新を迎えます。
 明治時代になると上田城内の土地や建物、樹木などは払い下げられ本丸内の西櫓以外の建物は壊されてしまいます。その後昭和24年に上田遊郭に移築されていた櫓が城内に戻され(南櫓・北櫓)、平成6年には本丸東虎口櫓門が復元されました。

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