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令和2年度展示・イベント情報

更新日:2023年10月23日更新
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※現在開催中または今後開催予定の情報は公文書館メインページをご覧ください。

展示

1 旧役場文書から見る地域の歴史

  1. 期間 4月11日(土曜日)から8月30日(日曜日)まで
  2. 場所 上田市公文書館1階ロビー
  3. 見学無料
  4. 展示内容
    大正8(1919)年5月1日、「上田町」は市制を施行し、県下3番目の市「上田市」が発足しました。この5月に市制施行満100年を迎えるにあたり、当時の上田市の議会資料を展示します。このほか「東内村誌」、「神社関係文書(西内村)」など、明治期の丸子地域の資料を展示します。
  5. 展示資料の概要

(1)上田市制の施行【大正8年5月1日】

 内務大臣の上田町会宛諮問書 小県郡上田町は、大正8年(1919年)5月1日に市制を施行し、上田市が誕生しました。県下では長野市、松本市に続く3番目で、全国では83番目の市制施行でした。 
大正8年の上田町『議事雑件編冊』の簿冊には、4月19日付で「その町を廃し、その区域をもって上田市を置かむとする。よってその会の意見を問う」とし、上田町会宛に、内務大臣の床次竹二郎名で諮問書が出されています。
市制への移行は四、五年前から町の有識者によって提唱され、上田町の将来の発展を期して行われました。
 県知事の上田町宛文書

同年4月30日付で「上田町を廃し、その区域をもって上田市を置くにつき、町有財産は上田市に帰属せしむるものとする」との上田町宛の県知事名の文書が残されています。
当時の上田町長は細川吉次郎で、5月には上田市長臨時代理となり、8月下旬には3名の候補者の中から内務大臣の任命により、市長に就任しました。

(2)東内村誌【明治12年編さん】

明治12年編さんの東内村誌 明治10年代、長野県は、県下の各町村に、町村誌を作成し提出するよう命じました。丸子地域の東内村では、明治12年(1879年)4月、長野県令宛に村誌を提出しています。
この村誌には、境域・管轄沿革・里程・地勢・地味・税地・字地・貢租・戸数・人数・牛馬・舟車・山・川・道路・温泉・社・寺・学校・古跡・物産・風俗・気候などについて記されています。
法住寺虚空蔵堂などの建物 東内村誌では、「昔より小県郡に属し、餘戸郷(あまりべごう・和名抄にあり)、後に依田庄内村郷と称し、一村なり」と記しています。
里程は「長野県庁より未(ひつじ・南南西)の方15里(約58.5km)」、地勢は「山間の一峡谷にして、山脈二条にあり、筑摩郡の郡境より来る。・・その形状が龍蛇に似ており、辰の口の称が起る所なり」と記しています。村の戸数は324戸、人数は男651人、女629人と記し、牛馬は牡馬(おすうま)46頭と記述しています。

(3)経塚資料【明治30年に霊泉寺境内で発見】

霊泉寺経塚出土品の「御届」文書 明治23年からの西内村の『神社・宗教公文編冊』の簿冊には、明治30年6月2日付の霊泉寺経塚出土品の「御届」文書が保存されています。
この「御届」文書には、「瓶(かめ)一個・鏡五面・銅筒二個・赤銅笄(こうがい)八本・小柄(こづか)銅二本・鐺(こじり)赤銅一個・刀折十六本・唐銭十五」とあり、長さや径が記されています。
なお、笄は髪かきのことで、鐺は刀のさやの末端の金具をさします。唐銭は中国銅銭のことです。こうした経筒などの資料は、霊泉寺の白山社境内に皇大神宮遥拝所を建築した際に、地下六尺(約2メートル)の地点から出土しました。
出土した経筒 発掘された場所は、経典を土中に埋納した塚である経塚とみられ、霊泉寺経塚とされ、現在出土品は、東京国立博物館に収蔵されています。
経筒は2点出土し、1点の経筒には「為清林十七年忌也 孝子等敬白 天文五年丙申四月三日」、他の1点には「天文五年丙申四月四日 願主了尊 住寺明窓」の銘が筒身に刻まれており、天文5年(1536年)の戦国期の経筒です。
※「天文」は1532年から1555年までの期間。天文10年には、甲斐国の守護武田家で、武田晴信(信玄)が父信虎を追放し、当主となった出来事がありました。

 

「旧役場文書から見る地域の歴史」説明会

公文書館職員による所蔵資料展の説明会を「申込み予約制」により開催します。どの回も内容は同じで、参加無料、所要時間は約30分です。マスク着用でご参加ください。

  1. 日時
    • 7月18日(土曜日)
       午前の部:10時から 11時から
       午後の部:13時から 14時から
    • 8月 8日(土曜日)
       午前の部:10時から 11時から
       午後の部:13時から 14時から 
  2. 場所 上田市公文書館1階ロビー
  3. 定員 各回とも先着5人
  4. 申込み 電話で公文書館まで(電話0268-75-6682)

 

2 旧役場文書から見る地域の歴史2

  1. 期間 9月10日(木曜日)から11月29日(日曜日)まで
  2. 場所 上田市公文書館1階ロビー
  3. 見学無料
  4. 展示内容
    明治10年西南戦争に関係した電信資料や大正13年別所線千曲川鉄橋補助関係など、約10点の旧役場文書を展示します。
  5. 展示資料の概要

(1)明治10年西南戦争に関係した電信資料【明治9年12月】

 明治9年より「會所通達留」旧神川村役場

 旧神川村役場所蔵の明治九年(一八七六年)から作成された『会所通達留』には、西南戦争の際に政府が発信した電信資料が保存されていました。当時は県の下に大区小区があり、この簿冊は北第八大区五小区の戸長役場で作成されました。

 明治十年二月十五日、西郷隆盛らが挙兵した西南戦争は最後の最大規模の内戦とされ、西郷軍が約三万人、政府軍は約六万人を動員したとみられています。田原坂(たばるざか)や城山の戦いなど激しい戦闘が行われ、九月二十四日、西郷が自刃して終結しました。

 この西南戦争では、明治二年に東京・横浜間で開通した電信が大きな役割を果たしました。明治十年二月までには北海道から九州までが電信で結ばれ、西南戦争の戦況を各地域に発信し、政府軍側を有利に導いています。電信文は毛筆で片仮名で書き留められ、大久保利通内務卿からの通達とされ、薩摩軍を賊とし、警視抜刀隊による田原坂の激戦の様子などが報じられています。

 明治10月3日.18田原坂電信

(2)工藤善助丸子村長の辞職届【明治34年2月】

肖像写真工藤善助

 丸子村の『明治三十四年村会議事録』には、二月六日付で工藤村長が村助役宛に、「辞職届」を提出しています。戦前には村長と郡会議員・県会議員は兼職が可能でした。工藤氏は明治二十四年(一八九一年)から二期小県郡会議員を務め、明治三十年からは県会議員を二期務め、二期目の明治三十四年から県会議長となりました。

 工藤村長の辞職届には「私は止むを得ない事故につき勤務ができなくなり、村長を辞任いたしますのでお届けします」とありますが、県会議長の重職に選ばれたため辞任したとみられます。

その後明治三十七年には衆議院議員となり、大正九年(一九二〇年)まで十六年間務めました。大正八年には、米国のワシントンで開催された国際労働会議に、日本の資本家代表顧問として出席しました。

 政界引退後には依田社社長・依田銀行頭取や信濃絹糸紡績などの重役、県生糸同業組合連合会長などを務め、蚕糸業の発展に尽力しました。

依田社製糸工場工女作業写真

(3)千曲川鉄橋工事への市の補助【大正13年2月】

上田温電川西線

 大正九年一月に設立された上田温泉電軌株式会社(小島大治郎社長)は、三好町駅を起点に青木駅までの青木線、上田原駅から別所駅(大正十三年信濃別所駅、昭和五年別所温泉駅に改称)までの川西線を大正十年六月に開通させ、順調に営業を開始しました。なお、昭和十四年から地方鉄道法により、川西線は別所線に改称しました。

 上田市は同年二月、市議会に「上田温泉電軌株式会社の起業に係わる上田市大字諏訪形字新井より大字常入字西天神に至る電気軌道敷設(ふせつ)事業に対し、条件を付して市費補助をなすものとす」として、議案を提案しています。

 電気軌道は電気で走る電車の線路を意味します。直接「千曲川鉄橋」とはしていませんが、千曲川に架かる鉄橋と線路を設置する大規模な事業でした。上田市はこの事業に対して「金四千八百円」を五年間の分割で、県と共に補助するとしています。当時の一円を五千円としますと、現在の貨幣価値で二千四百万円程度とみられます。

大正13年上田温電鉄橋・電車

 


「旧役場文書から見る地域の歴史2」説明会

公文書館職員による所蔵資料展の説明会を「申込み予約制」により開催します。どの回も内容は同じで、参加無料、所要時間は約30分です。マスク着用でご参加ください。

  1. 日時
    • 10月30日(金曜日)
       午前の部:10時から 11時から
       午後の部:13時から 14時から
    • 11月 14日(土曜日)
       午前の部:10時から 11時から
       午後の部:13時から 14時から
  2. 場所 上田市公文書館1階ロビー
  3. 定員 各回とも先着5人
  4. 申込み 10月21日以降、電話またはメールで公文書館まで(電話0268-75-6682)

 

講座

第2回公文書館講座

『上田市制のあゆみ』をテーマに、所蔵資料などで、大正8年の上田市制が施行された頃を振り返ります。

  1. 日時 12月10日(木曜日) 1日2回開催(内容はどちらも同じです)

     (1)13時00分~14時00分

     (2)14時30分~15時30分

  2. 場所 上田市公文書館 閲覧室
  3. 講師 小平千文氏(上田・東御・小県地域史連絡協議会会長)
  4. 定員 各回とも先着10名
  5. 料金 無料
  6. 持ち物 筆記用具
  7. 申し込み 11月27日(金曜日)以降、住所、氏名、電話番号を上田市公文書館へ電話またはメールで。
  8. チラシ 第2回講座チラシ [PDFファイル/398KB]
  9. その他 新型コロナウイルス感染症の拡大状況によっては日程が変更になる可能性があります。その際にはホームページに改めて掲載し、申込済みの方へは個別に電話でご連絡いたします。

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