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スポーツ合宿の聖地 菅平高原のあゆみ

更新日:2021年2月3日更新
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 スポーツ合宿の聖地「菅平高原」としての歴史は、スキー場としての歩みを始めた昭和2年まで遡ります。以来、上田温泉電気軌道株式会社専務取締役の柳澤健太郎氏が、当時の名スキーヤーであったハンネス・シュナイダー氏を菅平高原に招待したのをきかっけに、スキー場として大きく発展しました。現在は、良質な雪質に加えて、多くのゲレンデを有する、国内屈指のスキー場として全国に広く知られています。

 また、ラグビー合宿の聖地でもある菅平高原はその歴史も古く、昭和6年には法政大学が合宿に訪れています。当時は、冬季は多くの人がスキーに訪れるようになりましたが、冷涼な気候の夏にも訪れてもらいたいと、合宿地を探していた法政大学ラグビー部に相談を持ち掛けたことがきっかけとなり、翌年には早稲田大学が合宿を行うようになりました。戦時中に一時途絶えたものの、戦後に早稲田大学が再開したのを境に年々チームが増加し、それを追うようにグラウンドも徐々に増え、昭和42年には、日本ラグビーフットボール協会が初めて日本代表の合宿を菅平高原で実施しました。

 平成11年5月には、天然芝グラウンド5面と第3種公認の全天候型陸上競技場を備える菅平高原スポーツランド「サニアパーク菅平」が誕生し、ラグビー・サッカー・陸上競技などの試合や練習に市民やトップアスリートが励んでいます。

 また、多様化するトレーニングに対応できる屋内運動場やトレーニングジム等を備えた施設整備の要望を受け、平成30年9月には、競技場・トレーニングルーム・クールダウンルーム等を備えた「菅平高原アリーナ」がオープンするなど、まさにスポーツ合宿の聖地として発展し続けています。