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木曽義仲と依田城
木曽義仲と依田城
奥の右の山が城山
木曽で旗揚げした木曽義仲は、依田城で兵を集め、白鳥川原(東御市)で勢揃へをしたあと、平氏の大軍を横田川原(長野市)で打ち破りました。この「依田城」は、上田市依田地区にあったことは昔から広く知られてきました。
『平家物語』の「横田河原合戦」と「清水冠者」には、それぞれ「木曽は、依田城にありけるが」、「木曽は依田の城にありけるが」と伝えています。依田地区の御岳堂には、「依田城」と地元で呼ばれている山(城山)があり、義仲はこの近くに館を構えたと考えられています。『平家物語』の「依田城」は、その館を中心として周辺を含めた一帯のことを指していると考えられています。
ところで、義仲がこの「依田城」を拠点として東信濃にいたと思われる時期は、上野国へ入って味方の兵を集めるための説得を終えて信濃に戻った頃から、息子義高を差し出して源頼朝と和睦を結び北陸への進撃に移るまでの期間のうちの、合わせて2年ほどの間と考えられています。
【参考:『丸子町誌』歴史編 上、『上田市誌』歴史編(4)】
城山山頂(祭りの準備をする人々)
右が白鳥川原の方向(山頂から)
『源平盛衰記』の塩尻はざま(山頂から)