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史跡上田城跡の発掘調査について
旧市民会館駐車場の発掘調査を実施しました
現在の旧市民会館や駐車場一帯は江戸時代に「武者溜り」と呼ばれる城を守るための兵を駐留させる場所であったことが絵図からわかっています。そこには石垣や土塁、「三十間堀」と呼ばれる堀が描かれています。その痕跡を確認するため発掘調査を実施しました。
調査は一旦終了しましたが、追加調査を行う計画のため、当面の間立入禁止となります。ご不便をおかけしますが、ご理解とご協力をお願いいたします。
- 調査期間 令和5年3月7日(火曜日)から3月20日(月曜日)
- 調査場所 旧市民会館駐車場
公園全体図
拡大図
武者溜りについてはこちらのページをご覧ください。
発掘調査結果
令和5年3月の調査
12月に確認された冠塀台石垣に由来すると考えられる礫群周辺の再調査を実施しました。
その結果、他の地点でも冠塀台石垣と関連すると思われる集石列が確認されました。
今後、更に発掘を行い、冠塀台石垣の痕跡を確認できるよう、詳細な調査を進めます。
【冠塀台・三十間堀が描かれた江戸時代の絵図】
【冠塀台石垣の基礎に関係するものと推定される集石列】
また、三十間堀の範囲と推定される地点で5本のトレンチ(溝)調査を実施し、堀の遺構確認を行いました。
その結果、複数地点で、堀の法面と考えられる遺構が確認できました。
今後、詳細な調査を実施し、三十間堀の全体像を解明していく予定です。
【三十間堀の遺構】
現地説明会
現地説明会を令和5年4月9日に開催しました。
令和4年11月から12月の調査
発掘調査範囲内に5本のトレンチを掘って遺構の残存状況を確認しました。
一番南側のトレンチからは1m程度の石を並べた石列が確認され、その下や北側には小さい石(礫)を敷き詰めていたことが確認されました。
【石列】
石列については、江戸時代の絵図に描かれている武者溜りにも石垣が見られますが、並べられている方向や整えられている面の向きなどと合致せず、大正12年(1923)に建てられた上田市公会堂の写真に写っている石垣と合致することから、その頃の遺構であると考えています。
【昭和9年頃の上田市公会堂の写真】
また、石列の西側からはそれぞれ違う礫(角ばった礫と丸みを帯びた礫)を敷き詰めた場所が隣接して2ヵ所確認され丸みを帯びた礫は敷いた時期が2期あるとも考えられます。いずれかは江戸時代の絵図に描かれている冠塀台石垣の基礎の可能性もあります。今後3月の調査にて確認を進めていく予定です。
【2種類の礫が敷かれていた場所】
【冠塀台が描かれた絵図】
現地説明会
現地説明会を令和4年12月18日に開催しました。
現地説明会資料 [PDFファイル/690KB]