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エピソード10 「巨大な堀だった陸上競技場」

更新日:2019年12月12日更新
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城の地形を利用してつくられた運動施設

陸上競技場

 

陸上競技場 

 

現在、公園内にある市民体育館などの運動施設のうち、テニスコート、陸上競技場、市営野球場は昭和2・3年につくられたものです。当時の市長・勝俣英吉郎(かつまたえいきちろう)が、皇太子(昭和天皇)のご成婚記念事業として、県からの補助金を得て建設したものでした。こうした業績を称え、昭和36年に上田市体育協会が、氏の胸像を公園に建立しました。勝俣市長は他にも、監獄署の移転や徴古(ちょうこ)館(現在の西櫓を利用した博物館)の開設などに尽力した人物です。
公園内にある勝俣市長の像
公園内にある勝俣市長の像 

 

堀は普通、城の周囲を囲んでいるものですが、現在ではケヤキ並木の北側で堀が消えてしまっていることをご存知ですか?実は、ちびっこプールや、陸上競技場、市営野球場は、昔は堀があった場所です。遊園地も昭和30年代に石垣や土塁を崩した土砂で埋め立てて造られました。児童遊園地と陸上競技場の間の園路は、堀を渡るための橋の名残です。
 

開場記念試合の様子
開場記念試合の様子

 

陸上競技場と野球場は、「百間堀」と呼ばれた広大な堀の跡を利用してつくられました。どちらも観客席は堀の内側の斜面を利用しています。二つの施設の大きさから、百間堀がとても大きなものだったことが分かります。陸上競技場に入る坂の右側には、土橋の石垣が残っていますが、遊園地側から競技場側の堀に水を通すための石樋が石垣から飛び出しています。
 堀を運動施設に転用した例は、江戸城の「真田堀(注1)」などにも見ることができます。

(注1)幕府の命令で真田家(松代藩)が造った堀で、現在は上智大学のグラウンドになっています。
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