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エピソード2 「最後の藩主・松平忠礼」
写真好きだった最後の藩主
戊辰戦争の前に撮影された松平忠礼。
小具足出立の旧式の軍装姿。洋式軍装で、髷を結い大小の刀を差している松平忠礼。写真の撮影・現像の技術は幕末に日本に伝えられ、多くの大名が写真に関心を寄せました。最後の上田藩主・松平忠礼(ただなり)もその一人で、自身や家族の写真を残しています。当時の写真はガラスに画像を焼き付けたものです。忠礼たちが撮影された場所は江戸や上田と思われますが、当時有名だった長崎の写真館で撮影したものもあり、忠礼の写真愛好家としての一面がうかがえます。撮影の年代が分かるものは慶応4年(1868)の写真で戊辰(ぼしん)戦争を前に撮影されたものです。
上田藩で写真技術を研究した大野木左門。
この頃、上田藩の役人をしていた大野木左門(おおやぎさもん)は、軍事や化学、物理などに関心を持ち、特に写真の技術を熱心に学んだ人物です。彼が撮影した写真や、現像液の調合比率を書いた文書、日本各地の写真師と情報交換した手紙などが残っています。市立博物館が所蔵する松平忠礼の写真は撮影者が不明ですが、大野木が撮影したものも含まれているかもしれません。
このように、明治維新の頃には、すでに上田にも写真を撮影・現像できる人物がいました。これは、上田の歴史を考えるうえでも、大変注目されることです。